「禅宗食事五観文」
人間も八十歳前後ともなるとあちこち部品(健康・能力)の故障が始まります。
「人生はすべからく生涯現役たれ」などというたくましい達人もいるよう乍(ながら)私などは僅かな道程(みちのり)でも足腰は痛んでよたよた、胸は息切れがする有様ですから、もう何の役にも立たず、只々世間(せけん)様からのお世話になる一方で今日があります。
今回部誌発刊について、何か寄稿をとの強い申し入れがあり、止(や)むを得ず何か書かざるを得ぬ羽目(はめ)になった次第です。が、前記のような私が、今さら何を書いても仕方がありませんから、且(かつ)て、ある禅宗寺で受けた教訓を左記して、寄稿に替えます。
『禅宗食事五観文』
一つには、功の多少を計り、彼(か)の来処(らいしょ)を量る
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この食事が食膳に運ばれるまでには、幾多(いくた)の人々の力と、「道」即ち神佛(しんぶつ)の加護に依る事を思って、感謝します
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二つには、己(おのれ)の徳行の全欠(ぜんけつ)をはかって供(く)に應(おう)ず
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自分の徳業の足らざるに、この食物を頂くことを過分におもいます
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三つには、心を防ぎ過(とが)・貪(どん)・等(とう)を離るるを宗とす
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この食物にむかって、貪る心、厭(いと)う心を起こしません
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四つには、正(まさ)に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり
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五つには、道業を成ぜんがために将(まさ)にこの食(じき)をうくべし
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