私事
  私事で恐縮ですが、六年前心臓発作を起こしてから入退院を何回も繰り返して、今七十六才です。発病前まで、どうやら師範として一人一人の相手もつとまりましたが、もう病気と老齢で、今は師範としての資格なしと自覚しています。
 にもかかわらず、今だに部長先生始め部員の皆様から暖かく迎えられて道場で遊ばせて貰っている事を有難く感謝しています。この事は、私には病気のストレスを忘れさせて貰える大変有難い時間帯である事をこの稿を借りてお礼を申します。
 ところで、巷間で「馬鹿は死ななきゃなほらない!」などと聞きますが、まったくこれは自分の事と思います。今、七十六才にもなってやっとこんなことがわかります。
 「暁」という文字はまた「さとる」とも訓ずる由、「さとる」とは多分心の闇が白んでくるの意でせう。また、「了」という文字も「さとる」と読む事ありとの事、これは人生終わりに至ってやっと「さとる」の意味でもあるのでせうか?若さと健康な時は少々の事は気にもとめなかった事などが、病を得て初めてそれが生活習慣のよくなかった事が大きな要因だった事がわかって来ます。
 人はどんな聖人でも自分にメリットのない事は絶対にやらぬ習性ありとの事ですが、どんな権力、財宝、地位、名誉も健康を失っては無価値
(むかち)であり、不幸の極と言えませう。健康な時はこんな当り前な、而し、最も重要な事をおろそかにして、無理や無茶な生活状態に陥り勝ちですが、物の見方・考え方を語ると人生を誤ってしまうでせう。当り前の事を当り前に行為出来る人が人生の達人というものでせう。
 私が平井先生に入門当時、教えられた言葉がこれでした。
 「合気道」とは「当り前のことを
    当り前にすることなり。」と。
血気盛んな頃はこんな重要な教えも、何気なく聞き過ごし勝ちでしたが、まことに、
 「正道
(しょうどう)に不思議なし」です。

 今回は部長先生が御寄稿をとの事ですので、私も我がままは許されませんからの一筆です。
                   有難うございました。