回想
合気道部も二十年になるので、今回は回想的な投稿をとの要望を受けました・が、部の回想というよりも、合気道と自分についての二、三を述べます。同好会当時からですと、農大生とのつきあいは二十三年の上になります。
私事ですが、当時の中学校へあがると同時に柔道部へ入部したようなわけですから、柔道についての関心は大人になっても残っていました。
武道とは柔剣道の事と思って過ごした青少年期がすぎて社会人になると、何となく自分がやった柔道なるものに納得がいかず、「武道なり」と思っていたこの「道」という呼称が、次第に気になり始めて、そんな思いが心の底に滓となっていたのです。
そして、青少年期にやっていた柔剣道というような荒っぽいことなどする年齢ではなくなってしまった四十三才の時、偶然の機会で平井先生の実技指導中の様子をかいま見たのでしたが、自分が柔道と思ってやっていたものとの違いに気付き、看板を見上げると「日本伝柔術合気道」とあります。その時はまだ合気道などという名称は知らず、初めて知ったわけです。まるで平井先生は踊っているような体捌き乍ら、それで相手はバタバタと倒れて行きます。これが武道というものかも知れぬとの思いで、武道というものを納得したいための入門でした。
四十三才ですから、もう一通りの実社会の荒波にもまれた年齢です。社会経験は、先生の講話と実技内容に照らし合わせてみると、割に早く呑み込めるるのでした。青年期の放浪生活、戦地での軍隊生活、そして現地除隊しての大陸生活、終戦での引揚後の生活から自営業等、人並み以上変化が多かった半生の経験事項は、そのまま合気道の実技に直結することがわかり、合気道への興味が湧き始めました。二年、三年と通い続けるうちに、「武道」と称する「道」というものにおぼろげながら気付き始めました。すると不思議に、日常生活での心の負担や苦労事が薄れてくるのでした。いつの間にか道場通いが欠かさず五年も続いて、四十八才になり、その年には前例のなかったような短期間での五段位を許されていました。
中島部長先生とは殆ど同期位での相弟子だったのですが、先生は時間的に私のような道場通いは無理だったのでしょう。それ故その不足を補うために学生数名をかたらって、実は御自分の練習のために同好会を創ったような案配だったようです。そんなわけで中島先生の同好会へ遊びに通っているうちに同好会は部となって、先生が部長となり、先生の御推薦により平井先生のお許しと御依頼を受けて、当時の内藤学長から渋谷のさる料亭へ御招待を受けて、師範としての委嘱を受けたのが昭和三十七年二月で、甚だ未熟な名ばかりの合気道部師範が誕生したというわけです。
合気道は「道」ですから、実技が含む内容は、そのまま社会のすべての事柄に共通して道理を知る事が出来る事になります。道理とは道に目覚める事、人生に直結して物の見方・考え方の曲直につながります。武道の理はそのまま「人間(じんかん)の理」であり、「宇宙の法則」でもあるからでしょう。
そんなことがわかり始めて、それまでの自分をかえり見るとき、それは一難去れば一難で殆ど安らぎがなかった理由がよくわかるようになりました。合気道歴を積み重ねるに従って、以前は自分の苦労は、物の見方・考え方が近視眼的であって、道に盲目であったことに起因することを知りました。それがわかると、武道とは先づ道理に目覚めさせて貰える行為なのだと思うようになり、人は「行」・「業」という体験を通さずには物事に対する智解出来ても、理解は不可能だと知りました。
釈迦は法といい、同じ事を老子は道と言ったようです。「三聖酢を呑む」という諺があるそうです。法というも、道というも酢は誰が呑んでも酸っぱい物であるとの意でしょう。そして武道とは、その法や道という抽象的なものの具体化されたものが武道実技であるという事です。まさに「剣禅一致」三聖酢を飲むであります。禅とは宗教体験の事と聞きます。宗教体験とは真理の具体化ですから、まったく同一内容であると思います。体験を通さないで知るわかり方は智解であり、体験を通して知るわかり方が理解でしょう。私の合気歴で思うに、智解と理解には大きな相違があり、例えば智解は近視眼で世の中をみるようなものであり、近視の目の届かぬ真実の世界が見えるのが理解であると思います。
大学とは学問の場でありますから、学業優先は当然ですが、人生とは人が生きるという事で、物が生きるのでも、学問が生きるのでもないでしょう。従って世界中の知識を全部自分に集めても、宗教の「宗」である大本(おおもと)である人としての自分の物の見方・考え方が近視眼であるなら、折角集めた世界中の知識は一体どのような役割を果たしてくれるでしょう。人生とは現生(げんなま)なのですから人としての業・行(修業)を怠ると近視眼になってしまうのではないかという事です。学生だからと言って、学業専一であることは人間としての片輪になる事を自分が求めているのだといったら余りに我田引水(合気道を怠るなの意)となるでしょうか。
ここまで書いて一服しているところへ郵便が配達されて来ました。合気の好きな好漢OBの人からです。自分の疑義についての私の見解を求める文意が内包された便りでもあったので、早速返信をしたため始めたのですが、彼への返信はそのまま私の合気道に対して抱いている展望観でもありますので、複写で書きました。私と合気道との関係を語る回想の一部ともなるので、そのままを寄稿とします。
彼の書簡の内容・事の経緯は次のようなものでした。
便りをくれたOBの方の友人に。江口潭渕博〈禅?〉士という方がおります。その方が、彼に次のような書簡を送ってきました。
「『老子』を繙(ひもと)くと、
『道ハ一ヲ生ズ。一ハ二ヲ生ジ、二ハ三ヲ生ジ、三ハ万物ヲ生ズ。』
云々という一節がありますが、『道』は何処から生じたのでしょうねえ、作 生(そもさん:禅宗で相手の返事をうながす言葉、空欄に該当する文字がありません)。」
それに対して彼は、
「それは、因縁のことだよ。」
と潭渕禅士に返答しました。
そして、彼の返答の如何と彼の疑義についての私の見解を求めるべく、私の許へ彼の書簡が届けられたわけです。
嬉しくも又有意義な書簡でした。
潭渕氏のこの”作 生(そもさん:禅宗で相手の返事をうながす言葉、空欄に該当する文字がありません)”は承知の上でのソモサンなのでしょうから、貴兄の応答はなかなか気のきいたものだったと思います。
彼は心の通う良友と思ってるからの書簡ですから、これも人生の三楽のうちの一つでしょう。が、因縁という表わし方でなく、「我なり」がもっともよかったと思います。真実の世界には始めも終りも、一も二もなく、すべては只一つの一大生命体である「我れ」以外の存在は皆無であるということです。天地万物の創造主はこの我なり、がいわゆる”天上天下唯我独尊”で、釈迦の誕生とは、自分の誕生のことで、真実の世界は一元界であって時間空間は皆無です。真実の目を開いて見たなら、道とは自分のことであり、自分とは一大生命そのものなのですから、その生命という生きものには運動という動きが必然します。ですから、生命の運動のひろがりが空間を形成し、そのひろがりに要する持続面のことを時間と命名するのです。これが道は自ら成るという需要供給の関係で因縁果と言っていいでしょう。この因縁果のことを老子は”道一ヲ生ジ”云々と言ったわけです。ですから貴兄の答えでも間違いではありません。
人間の智恵・思考とはものを理解しょうとするとき、必ずそのものを二つに分けます。が、唯一絶対なる一つのものを分けることが相対観です。が、人間の思考・言語・文字はこの相対差別を離れては成り立たないという致命的欠陥を持ちます。先づこのことに気付かぬ限り、老子を読んでも恐らく得るところはチンプン