文集二十号へ
文集も今回はとうとう二十号。例年あきずによくも寄稿して来たものであるが、道路に黄や茶褐色の落葉が多くなってくると、文集への原稿用紙を渡される。私にはそのことがこの季節に於ける気重な事の一つである。「年々歳々花相似たり。」
「歳々年々人同じからず。」云々なる漢詩に例年、一抹の哀感が胸中をよぎるのである。この詩は花の春の候にうたわれたものであろうけれども、私には、今頃の季節にこそ一入の思いがするのである。それは間もなく納会と供に四年生との別離が近いせいであろう。すべて生の世界は新陳代謝で、それはそれなりに又、間もなく溌剌たる新入部員を迎えるという新たなる喜びと邂逅に通じる事なのではあるけれど・・・。
私は平井先生を知り、合気道との縁を得たのが四十三才、今はもう七十三才である。中年を過ぎてからの縁ながらも、もう数えれば三十年にも及ぶ合気道ともなる。どうしてこのような長年月に及ぶ合気道歴となってしまって、そして現在未だに道場通いである事はなぜなのであろう?恩師平井稔先生直伝の合気道は、単なる武技や武芸ではなく、人生、生活に密着する事を目的とした、本物のいわゆる実践武道だからであったと思う。
常々先生の提唱なされた事は実践武道という事であり、たまには「零の経済」との先生の造語に依る経済生活面にも言及なされる事さえあったものである。経済学に於て、多分「零の経済」などという造語はないと思うけれど、すでに四十三才にもなっていて、実社会の荒波に散々苦しんで来ていた私には、先生が経済生活でのあり方について何を説かんとなされようとしているのかは、おぼろげ乍らではあるが推察するに不可能事ではなかったのである。それ故私にとっての合気道修業は一日も怠る事を許されぬ。「三時の一、つまり一日のうち一時は必ずなさねばならぬ時間帯となったのである。そして数年を経て、五十才前位の頃から先生の「零の経済」なるものを我がものとする意味に於いて、自分尾ものとしてこれに私は、「退歩の工夫」と命名して、その頃から合気の理の実践生活を心掛けると同時に在来の生活様式を捨てて、その道の実践生活に切りかえて現在に到っている次第である。
「零の経済」も「退歩の工夫」も、その内実のあり方は。老子の「道の道たるは常道にあらず」、「為す事なくして為さざるなし」等々と、まったく軌を一つにするものと云えると思うのである。何だか変なむずかしそうな書き方になってしまったようだが、わかりやすく一言で云えば、
「人の行く裏に道あり花の山」なのである。
現代は情報社会なのだそうで、進歩、進歩、ニュース、ニュースでニュースに乗りおくれるなという意が情報という事らしいけれど、この進歩に遂行するものが退歩である。すると退歩の工夫とはこの世の中に、ニュースなどというものはない!日々のニュースも情報も、人間社会での出来事は、百年前、千年前、一万年前に、すでにあり又起きていた事柄ばかりで、ニュースなどと云える種類のものではないという事にもなるのではないか?さすが賢聖とも云われた孔子は、二千数百年も前に、私、同様な事を云っていると思う次第で即ち日々「温故知新」とその事を表現している。
私は若い頃の無理や怪我がもとで座禅なる脚の組み方が出来ない。が、「動中の工夫は静中の工夫にまさる事幾百倍す」との言あり逆って、私は、合気実技を動く禅なりと自分流なる解釈をしている。
平井先生の修道訓なるものは先生が三十八才の時のものと伺っているのであるが、誠に立派な修道訓であり、私が文章一号よりこの二十号に到るまでの饒舌は、全部あの中に凝縮されていると云えると思う次第である。それ故、今後若し文集二十一号が発刊される事となっても、私はもう寄稿しませんから、部員諸兄姉並びにOBの皆様方に前もって御諒承を願って筆を置きます。