敗の種は、得意の時に蒔かれる。
得意の時は、人の心の奥底がのぞけない。故に深い恨みを買う事もある。が取り返しのつく程度の失敗は時々には、あってよい。これが「失敗は成功のもと」だろうから。

 


●有名もよし無名もよし富めるもよし貧しきもよい。要は、最善を尽くしたあとに、与えられた環境に、満足出来る我が心の修練の如何であろう。これこそが、得意淡然、失意泰然だろう。

 


●われわれは、日常目にみえぬ色々な衣装をまとっている。気取り、虚栄心、警戒心、教養。逆にひがみ、うらみ、ぐち、世の中が複雑になる程、衣装の種類も数も多くなるようだ。

 


●自分が蒔いた種子は、必ず自分が刈り取らねばならぬ。不幸であれ、幸福であれ、すべては自分が種子を蒔いた必然の結果である。

 


●立派な人というか、偉い人といおうか、好ましい人といおうか、そのような人とは、自分のおかれている環境にうまく自分を適応させ得る人の事と思う。

 


●生きるための必要条件の最たるものは、対人関係を良好にする事であろう。そのためには、自分にも相手にも完全を望まぬ事。心の要求水準を高く持ち過ぎると、当然、不満が生まれるから。
あやまちは、人の常。失敗もしない、弱点を持たぬ人間はいない。

 


●怒る事よりも、どうして解決するかが大切だ。誤解や中傷などは、どうでもよい事である。どうでもよい事に、敢えてさからうは人生の浪費。

 


●この世以外に極楽は無いであろう。
意識のないところに相対差別のありようがないからである。故に極楽とは、互がその分に応じて相互に利益し合ってる状態の事。そして、その反対が地獄だから。
故に、人間関係は、いわゆる共存共栄でなければならぬ。一方がしてやってはならぬし、又、してやられてもならぬ。相互のバランス即ち調和こそが道である。

 


●人間にとっての一番の根本は、平凡だが我々が与えられた寿命を出来るだけ豊かに生きて行く事しか無い。
天賦の才に如何に恵まれていても、それだけで英雄にも又世間的成功者になれるものではない。ついて廻る運もある。

 


●常に思うべし。人生で愚かで馬鹿らしい事とはなんだろうと、人生はそれ程長くはない。他人を恨んだり、いきどおったりしている限り幸せではない。憎悪は人を傷つけるより自分を傷つけ不幸なり。

 


●礼儀に心を配る事。
当然ながら、人は上品な人を好きになるもの正しい判断と感謝の念を表明せよ。それこそ、我ひと共に幸せにする。

 


●利口な男は、気むずかしい男と同じように誰からも嫌われる。真面目に努力するだけが人生ではないだろうから。

 


●盗みとは、厳密に言うならば、自分に不要なものを所持する事。

 


●人は誰でも、富や地位や名誉を手にする能力があるとは限らない。だが人は、誰でも善良で心広く豊かな心にはなれる筈である。本当の豊かさとは、人が何を持つかではなく、どのような人間であるかであろう。

 


●清らかな目、慈しみの目、理性と知性の明らかな目、汚れなき目、それは世の闇を照らし、すべてに幸福をもたらす。
会った時が別れであるを肝に銘ずるを、一期一会とか。そうする事で、おのづからものの言い方や、行為がおのづから礼となり道に叶うであろう。

 


●人には本当に憂えたり悩んだりせねばならぬような問題などあるものではない。憂えるなかれ。悩むなかれ。憂愁は多ければ多い程人間を消耗させる。

 


●人生問題に正解は無い。
正解の無いものに答を出そうとすることは愚なり。
 ”愛”とは欲望なり。
愛の本質は、欲望であり、”自己愛、利己愛”が、”愛の典型”であることを仏教はよく知っている。日本人の言う「愛」とは「エゴ」の事である。

 


●むかっ腹が立った、金が惜しいと思うなら、十年先を考えよ、そんな事は十年経ったらどうっていう事はなくなるだろう。

 


●恐れている事や、嫌だと思う事があったら恐れやその事に飛び込め。必ず恐怖は無くなる。恐怖に神経を浪費するな。修業とか精進とは、絶対に不幸を封じ込んで幸福ばかりになる事である。